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松島聡くんに過保護なDDおばさんのブログです

GWに予定がないので、松島聡くんの担当になった経緯を振り返ってみた

はじめましてこんばんは
20代前半の社会人で松島聡くんに過保護なDDおばさんのすぷと申します

タイトルの通り、大型連休なのに特に予定もなく、時間だけが有り余ってるので、松島くんの担当になった経緯を振り返ってみようとブログを開設してみました
といっても急に思い立ったわけではなく、

こちらの記事を読んで、春のツアーも終わりが見えてきたので、私もこのタイミングで一度振り返ってみようと思った次第です
そうです、n番煎じのブログです


私が初めて好きになったジャニーズは、今はもう退所されていますが、Ya-Ya-yah山下翔央くんでした
最初の出会いはもうハッキリと覚えていないのですが、テレビ東京系列で放送していた彼らの番組を見て、小学生の私にはこんなにカッコいい人がいるのかと衝撃を受けたのを今でも覚えています
その後Ya-Ya-yahは2名の脱退を経て、4人で活動をスタートし、太陽くん薮くん八乙女くんは金八先生に出演したり、Ya-Ya-yahでの単独コンサートも決まりと、私はデビューは今か今かとはしゃいでいました
当時はまだ地方に住む中学生だったため、高校生になったら絶対にコンサートに行くんだと胸に決めていました

しかし、そんな私の決意を嘲笑うかのように、転機が訪れました
Hey! Say! JUMPの誕生と共にYa-Ya-yahは自然解体となり、翔央くんもしばらくのソロ活動の後、退所をしてしまいました
Ya-Ya-yah解体後も翔央くんももちろん好きでしたが、彼を追うこともせず、しばらくの間(といってもつい最近まで)Hey! Say! JUMPの活動から目を背けてきました
詳しくお話すると長くなるので割愛しますが、これが私にとって初めてジャニーズとの出会いと別れです


また、翔央くんのファンだったのと同じ頃、一時期ではありますが、KAT-TUNの亀梨くんのファンでもありました
私達世代のジャニヲタはみんな通ってきたのではないかと思うのですが、私ももれることなくKAT-TUNに辿り着きました
ごくせんを見て「仁?亀?」となったり、野ブタを見て「修二?彰?」となった世代です

Ya-Ya-yah解体後からどうもジャニーズに対する熱が入りきらず、KAT-TUNへの気持ちも下火になってしまい、気が付けばCDや雑誌を買うのを辞めていましたが、茶の間でひっそりと応援をしながら、KAT-TUNに何かある度にひっそりと胸を痛めておりました


ジャニヲタと呼んでもいいのかと思うくらいにゆるゆると茶の間を続けながら、高校生大学生の私は、ジャニーズではなく若手俳優やK-POPアイドルに熱を注ぐようになりました
心にKAT-TUNとえびきす(上記にはありませんが、少クラ等でこの2組が好きになりました)はありましたが、特にK-POPにのめり込んでいったのです

好きになったグループは日本での活動が盛んだったのですが、私が大学生4年生の夏を境にぱたりと日本での活動がなくなりました
そして社会人1年目の5月、日本の事務所との契約終了が発表されました
私自身その頃は初めての就職に初めての一人暮らしにと四苦八苦していて、その中で彼らの歌を聞いたり過去のDVDを見ることだけが唯一の救いだったので、いきなり奈落の底へと突き落とされた気分でした
そんな時に私が救いを求めたのがジャニーズだったのです

その頃のは私は、ジャニーズは主にキスマイの茶の間でした
あくまでも茶の間だったので、テレビ番組に出れば見る程度でしたが、キスマイの番組は欠かさず見て、舞祭組の結成に喜び、中居さんに感謝し、舞祭組のCDは購入していました
そうして、好きだったK-POPグループの日本撤退発表後、1ヶ月もしないうちに気付けばキスマイのファンクラブに入会してたのです

このままキスマイの茶の間から卒業し、今までK-POPを優先して行けなかった現場にも行こう!そう思っていました
松島くんに出会うその日までは………


茶の間とはいえジャニヲタであり、何より男子バレーの大ファンだった私は、Sexy Zoneというグループも、メンバーの松島聡くんも存じておりました
デビュー当時はSexy Zone wwwwww股間かよwwwwwwという何番煎じのネタだよと言いたくなるよことを言ったり、若いなとか静岡出身の子もいるのか、それに外人もいるぞとそれぐらいにしか思っていませんでした
また、誤解を恐れずに言えば、バレー好きの私としては、デビュー当時の言わされている感満載のコメントが好きではありませんでした
(今は何度もサポーターを務める中で経験や知識も身に付け、それらしいことは言えるようになったなと思っています)
5人体制から3人体制になったと耳にした時も、大変だなぁと人事のように感じておりました
Sexy Zoneという存在を知り、活躍を目にしてはいたものの、全く興味を持つことなく過ごしてきたのです

そんな私が松島くんに出会ったのは、2015年の6月27日のことです
TBS系列で放送された音楽の日にキスマイも舞祭組も出るということで、その日1日は楽しみにしていました
(舞祭組の出演の時、私の住む地域ではローカル番組を放送していましたが……)
舞祭組の出演が見れないなど露知らず、番組スタート前からTVの前に構え、今か今かと出番を待っていると、先にジャニーズからSexy Zoneが出演し、KQJとCha-Cha-Cha チャンピオンを披露していました
やっぱり3人と聡マリは衣装が違うんだなぁ、それどころかJrと同じ衣装を着せられているのか…と少し切なく感じていると、中居さんが「君達衣装違うね。どうした?」と質問するではありませんか

舞祭組担の私にとって、衣装格差についての質問に対する答えは「俺達だって同じ衣装着たいっすよ!」しか知りませんでした
しかし、中居さんの質問に対する松島くんの回答は、私の予想を裏切るものでした

中居さんの質問に対し、松島くんは「こういうカッコよさです。僕らなりの」と即答したのです
衝撃でした
そして、「5人でSexy Zoneでいいんだよね?」という質問にも「そうです!」と肩を組んで答える5人の姿に、思わず涙が零れました

Sexy Zoneにはなんてすごい子がいるんだ……」と放心状態のまま舞祭組の登場を待っていると、急にローカル番組に切り替わり、その裏で舞祭組が登場してることをTwitterで知り、第一部の録画を停止して狂ったようにSexy Zoneのステージをリピートしました
先程は気付きませんでしたが、そこにはキラキラの笑顔でキレキレのダンスを踊る松島くんがいるではありませんか
何度も見ているうちに「松島くんの笑顔がキラリChampionだよ……」とむせび泣いていました
そして、当時Sexy Zoneに関して全くの無知でしたが、高校3年生の松島くんが自分だって同じ衣装を着たいかもしれないのに、真っ直ぐな瞳でこれが自分たちなりのカッコよさだと答える姿に、ただただ胸を打たれるばかりでした


しかし、その時の私は自分が松島くんの担当になるなど夢にも思っていませんでした
いえ、なるものかと自分に暗示をかけていたのです

当時は前述の通り、K-POPからキスマイにシフトチェンジしたばかりでした
シフトチェンジと言えば聞こえがいいかもしれませんが、悪く言えば楽な方に逃げたのです
この国を去っていくアイドルより、この国で勢いの増していくアイドルに乗り換えたのです

5人でSexy Zoneだと肩を組んで答える姿を見ても、結局は3人体制のまま
楽な方へと逃げたばかりの私には、Sexy ZoneではなくSexy 松として活動する松島くんを応援する勇気がないと、尻込みをしていたのです


そんな時K-POPを中心にツイートしていたアカウントで、ぼそっと「Sexy Zoneの松島くんが気になる」とツイートとしました
するとジャニーズが好きなフォロワーさんなら、聡ちゃんが気になるならこれを見て!動画のURLが送られてきました

その時の私は、キラキラの笑顔でキレキレのダンスをし、曇りなき瞳でこれが自分たちのカッコよさだと言う松島くんしか知りませんでしたし、まさかこんなにもバラエティーの神様に愛されてるなどとは知りませんでした
何より音楽の日のステージを見て以降、Sexy Zoneの担当にはならないと自分を律し、自ら動画を検索することも控えていました
しかし、せっかくオススメしてもらった動画なのだからと、一度だけ見てみることにしたのです
ここからはもう頭ではダメだと分かっていても、止めることは出来ませんでした

ステージではキラキラの笑顔でキレキレのダンスをする松島くんの、バラエティーでのギャップに惹き込まれていくばかり
番組の存続がかかったボルダリングに挑戦してすぐに落ちたり、スパナのことを「メゲル!」と答えたり、お化け屋敷に入れば誰よりも騒ぎ、挙句「ギャーアァ ワアアアギャー ギャーアァ」という謎の川柳を読んでみたり、ジャニーズなのに元気すぎるからモテないとガチトーンで話したり、「僕の富士!!」と富士山を見て言ってみたり、簡単なはずの牛タンゲームに苦戦したりと挙げればキリがありませんが、とにかく愛おしい程にバラエティーで輝く松島くんがいました
そして、松島くんだけではなく食べ物でバカみたいに燃えたり、ここぞという時は団結したり、はしゃいだりという姿にいつの間にかSexy Zone自体も愛おしく感じるようになっていました

気が付けばセクチャンだったり、ステージだったりと松島くんの映像を見るばかりでしたが、夏の現場に足を運ぶことはありませんでした
気持ちは完全に松島くんにSexy Zoneに向いていましたが、私の理性はそれを良しとしなかったのです

しかし、そんな私のくだらない考えを松島くんは簡単に奪い去ってくれました
9月23日のMステの特番内でのジャニーズメドレーのコーナーで、Sexy Zoneは久しぶりに5人でのステージを披露
やっぱりキラキラの笑顔でキレキレのダンスをしながら、楽しそうに歌う松島くんを見ていたら、どうして自分はこんなくだらないことを気にしていたんだろうと馬鹿らしくなってきました

そこからは転げ落ちるように松島くん、Sexy Zone、そしてジャニーズにハマっていきました


運良く、松島くんのカウコンデビューや地元静岡でのファンミーティングに立ち会うことができたのですが、ステージの上でキラキラの笑顔でキレキレのダンスを踊る松島くんを、MC中にトンチンカンな発言をする松島くんを見る度に、松島くんの担当になって良かったと思うことができました


そして今回のツアー、私は名古屋2公演と代々木1公演入ることができたのですが、名古屋で勝利の日までで松島くんがセンターに立った時、松島くんの担当になってからの1年弱を思い返しました

私が初めて見た松島くんは、3人の後ろでJrと一緒に踊っていました
カラフルEyesや24-7で5人での姿も見てきました
そして今、松島くんが5人のセンターに立っているのです
私は、溢れる涙を抑えることができませんでした


私は松島くんの担当になって期間も短いですし、Sexy Zoneの5人がファンのみなさんが3人体制の期間をどんな気持ちで乗り越えてきたのか分かりません
どういう意図で3人体制にされなければいけなかったのかも分かりません
ただ、名古屋で5人がセンターって言った時に「センターで戻って来るって言ったじゃん(ニュアンス)」と言った風磨くんの一言で、3人体制の期間を受け入れられたような気がしました


大人の決めたやり方は正解ではなかったかもしれないけれど、Sexy Zoneが自分達の力で正解にしたのなら、それは正解なんだなと


デビュー当時、まだ小さく幼かったSexy Zoneは、今では自分たちの手で正解を掴み取る程成長しました
これからは安心して、彼らの進んで行く道についていきたいと思います


長くなりましたが、これが私が松島くんに出会い、葛藤し、松島くんの担当になった経緯です



最後に、私はYa-Ya-yah解体以降、ジャニーズに本腰を入れて応援することから逃げていたような気がします
そんな私を、優しくジャニヲタへと連れ戻してくれた松島くんには、感謝しかありません
そして、長いこと目を背けてきたHey! Say! JUMPの活動にも、目を向けることが出来るようになり、岡本くんという松島くんとはまた別の、素敵な自担に巡り会うことが出来ました
そういったことも含め、本当に松島くんの担当になって良かったと思っています

これからも、キラキラアイドル松島聡くんのキラキラな部分も、Sexyな部分も、努力家なところも、とんちんかんな部分も全て好きでいたいと思います